戦後の苦境と再建

昭和27年7月7日の第一生命館の返還受領式
昭和20年(1945)8月15日、約4年にわたった太平洋戦争が終結した。この戦争で当社も多くの職員や店舗を失い、すべての外地資産を喪失した。さらに、焼け残った第一生命館は連合国軍総司令部(GHQ)に接収されてしまった。
人々は日々の暮らしに精一杯という状況で、生命保険の新契約など望むべくもなかった。一方、戦争死亡保険金の支払いは急増し、インフレによる事業費の膨張と相まって収支が極端に悪化、生保業界全体が存亡の危機に陥った。そこで、業界で歩調を合わせ、昭和21年に配当を停止し保険料も引き上げるという非常措置をとったが、収支は改善しなかった。この年、それまで経営を支えてきた矢野会長、石坂社長以下ほとんどの役員が退陣し、22年1月より矢野一郎が社長に就任、当社は同年11月に基金を増額して新発足する。この間、戦争損害の処理のため、やむを得ず高額契約を棚上げし、政府の補償金を受けることになった。
戦後ほとんどの生保が相互会社となったことなどから、当社経営の独自性は少なからず色あせることになる。昭和24年の配当再開時には、累加配当から利源別配当に変更し、高配当を特色にしてきた当社の配当も他社と横並びになった。また、一度に高額の保険料を払える人々が激減したため、戦前は年払い中心であった当社も、他社と同様に月掛保険に力を入れ始めるのである。
昭和25年から当社は、市場の変化に対応すべく営業組織を改革し、営業職員の増員に力を入れて新契約の拡大を推進した。同時期に起こった朝鮮戦争による特需景気や、26年の生命保険に対する優遇税制の復活という追い風を受け、当社は業績を徐々に回復させていく。第一生命館の返還と創立50周年が重なった27年には、他社と歩調を合わせて保険料を引き下げ、業績の拡大に拍車をかけた。
昭和30年までには多くの経済指標が戦前水準を超えた。このような中、当社は31年度に政府補償金と棚上げ契約を返済、翌32年度には新契約高が戦前水準を回復し、高度成長期の発展に向けた準備を整えるのである。

